法人の歴史
傍観者ではいられなかった。ただそれだけ―
昔も、今も、そしてこれからも。
社会で必要なことを追求しながら、
地域の子どもたちと障がいのある人たちへの関わりの中から生まれてくる問題に取り組み、
社会に貢献していきます。
社会で必要なことを追求しながら、
地域の子どもたちと障がいのある人たちへの関わりの中から生まれてくる問題に取り組み、
社会に貢献していきます。
小暮次郎氏(明治40年~平成元年)による水彩画。関東大震災前の宝安寺の姿を偲ばせる。
そのころ、小田原では…
1906年(明治39年)
「箱根登山鉄道」開通。
1907年(明治40年)
内閣総理大臣 大隈重信、
国府津に別荘を建てる。
1918年(大正7年)
・「坂の上の雲」の主人公
海軍中将 秋山真之
小田原で死去。
・歌人 北原白秋、
小田原に移住。
「箱根登山鉄道」開通。
1907年(明治40年)
内閣総理大臣 大隈重信、
国府津に別荘を建てる。
1918年(大正7年)
・「坂の上の雲」の主人公
海軍中将 秋山真之
小田原で死去。
・歌人 北原白秋、
小田原に移住。
震災後2年を経、第1回赤ちゃん審査会での晴れやかな表情の母と子(大正14年)。晴れ着姿が愛らしい。
被災した小田原の町の復興支援として、
現小田原愛児園が始まる
大正12年11月1日(震災2ヶ月後)に「小田原乳児保護会」、また12月15日に「小田原託児所(現・小田原愛児園)」を開始しました。
被災した乳児や妊婦、家庭を助ける乳児保護会を立ち上げ、乳児死亡を防ぐ母子保健事業を展開。その一つとして、「赤ちゃん審査会」を盛大に開催しました。
小田原愛児園は被災地復興のために働く市民の子どもたちのための託児所として始まったのです。
被災した乳児や妊婦、家庭を助ける乳児保護会を立ち上げ、乳児死亡を防ぐ母子保健事業を展開。その一つとして、「赤ちゃん審査会」を盛大に開催しました。
小田原愛児園は被災地復興のために働く市民の子どもたちのための託児所として始まったのです。
「赤ちゃんを健やかに、大切に育てることは、立派なこと」
というメッセージを世の中に伝えたい。
お母さんたちをはげまし、たくさんほめてあげたい。
そんな試みが被災地ではじまりました。
というメッセージを世の中に伝えたい。
お母さんたちをはげまし、たくさんほめてあげたい。
そんな試みが被災地ではじまりました。
昭和30年代の小田原愛児園の親子遠足。楽しそうに親子でダンス。
戦後の復興のなかで
乳児保育(現・小田原乳児園)が始まる
戦時中も子どもたちを守る戦時保育所の経営を行い、戦後は横浜の金沢八景に県内社会事業家と協力して引揚者援護施設『望月寮』を開設しました。
疲弊した市民生活向上のために、乳児クラス(「ふたば組」:現・小田原乳児園)・婦人授産場・小児診療所を一体的に運営。
ララミルクステーション及びクロージングステーションになり、米国から寄贈されたミルク、食料品、衣料品を市民に配り、市民生活を守りました。
疲弊した市民生活向上のために、乳児クラス(「ふたば組」:現・小田原乳児園)・婦人授産場・小児診療所を一体的に運営。
ララミルクステーション及びクロージングステーションになり、米国から寄贈されたミルク、食料品、衣料品を市民に配り、市民生活を守りました。
万年町大火「復興のシンボル」
昭和26年11月26日、小田原の万年町で大火事が発生しました。この火事で宝安寺のある浜町の一部も焼けてしまい、被災者は1500人以上にも達しました。そこで宝安寺は「復興のシンボル」として高松宮殿下に桜の木のお手植えをお願いしたのです。
植えられた2本の桜の木は、復興の願いをこめて大事に育てられ、60年もの間、宝安寺や小田原愛児園・小田原乳児園の子どもたち、ほうあんのぞみを利用する障害者の方たちを見守ってくれていました。
平成23年の台風の猛威により倒れてしまいましたが、今では机や積み木に姿を変え、生まれ変わって、子どもたちに寄り添い続けてくれています。
そして平成27年春、子どもたちによって植樹された桜の若木が、今年の春、初めての可愛い花をつけました。
植えられた2本の桜の木は、復興の願いをこめて大事に育てられ、60年もの間、宝安寺や小田原愛児園・小田原乳児園の子どもたち、ほうあんのぞみを利用する障害者の方たちを見守ってくれていました。
平成23年の台風の猛威により倒れてしまいましたが、今では机や積み木に姿を変え、生まれ変わって、子どもたちに寄り添い続けてくれています。
そして平成27年春、子どもたちによって植樹された桜の若木が、今年の春、初めての可愛い花をつけました。
第1回富士学園(現ほうあんふじ)運動会〔1970年10月於飯泉観音〕
障害児通園施設「富士学園」
(現ほうあんふじ)が始まる
小田原愛児園・小田原乳児園に在園していた障がいのある子どもたちにより適切な療育の機会を与える必要を痛感し、知的障がい児通園施設・富士学園(現ほうあんふじ)が昭和45年に設立されました。富士学園卒園児の成長やニーズに応えるため、障がい者地域作業場・通園施設(ほうあんのぞみ・第一しおん・第二しおん)、グループホーム(ほうあん生活ホーム)、入所施設(ほうあんふじみのさと)、相談支援事業所(障がい児相談事業所こどもホッと相談カフェ)を開設しました。
そのころ、小田原では…
1972年(昭和47年)
南足柄市が誕生。
西湘バイパス全面開通。
1976年(昭和51年)
新市庁舎完成。
1995年(平成7年)
「生命の星・地球博物館」開館。
2004年(平成16年)
ヒルトン小田原
リゾート&スパオープン。
2005年(平成17年)
小田原駅舎、新しくなる。
南足柄市が誕生。
西湘バイパス全面開通。
1976年(昭和51年)
新市庁舎完成。
1995年(平成7年)
「生命の星・地球博物館」開館。
2004年(平成16年)
ヒルトン小田原
リゾート&スパオープン。
2005年(平成17年)
小田原駅舎、新しくなる。
病後児保育室「ほうあんりすのもり」開始
放課後等デイサービス「しおんワークプレイス」始まる
「ほうあんふじ」は児童発達支援センターへ
障害者自立支援法への移行にともない、障がいのある人たちが「地域で生きる」ことがより良くできるような取り組みを目指すように。
保育事業については現代的な耐震設備を備えた小田原愛児園を目指して建て替えを決め、2009年に改築。保育所改革の環境変化を乗り切るために、小田原乳児園入園から小田原愛児園卒園までの一貫した保育体制を敷き、さらに子どもたちの成長に寄り添う保育が可能になりました。
また新たに児童発達支援センター「ほうあんふじ」や病後児保育「ほうあんりすのもり」等の新事業を立ち上げ、地域の子育てをまるごと支援する多機能の保育園へと近づきました。
放課後等デイサービス「しおんワークプレイス」が始まり、ライフステージに寄り添う切れ目ない支援に向けた第一歩が踏み出されました。
保育事業については現代的な耐震設備を備えた小田原愛児園を目指して建て替えを決め、2009年に改築。保育所改革の環境変化を乗り切るために、小田原乳児園入園から小田原愛児園卒園までの一貫した保育体制を敷き、さらに子どもたちの成長に寄り添う保育が可能になりました。
また新たに児童発達支援センター「ほうあんふじ」や病後児保育「ほうあんりすのもり」等の新事業を立ち上げ、地域の子育てをまるごと支援する多機能の保育園へと近づきました。
放課後等デイサービス「しおんワークプレイス」が始まり、ライフステージに寄り添う切れ目ない支援に向けた第一歩が踏み出されました。
重度・重症心身障害者対応グループホーム
「ほうあんホーム シトラス」開設。
ほうあんホーム シトラスは大きなハンデがある方たちが暮らす場所です。入浴、食事から季節のイベントまでこのホームで営まれています。
現在、入居されている方たちは初めて家族と離れて生活しています。自分のことを誰よりも知り、守ってくれていた大切な人たちと離れるのは入居者の人生にとって大きな転機であり、不安でいっぱいだったと思います。今では笑い声に包まれて仲間や職員との絆を育み、ゆっくりと前に進んでいます。暮らしていくのにたくさんの助けは必要ですが、シトラスがわがままも言えて安心できる居場所になった時、自分らしい人生が始まるのだと思います。その時に向け、シトラスはそれぞれのペースで歩む姿を応援していきます。
現在、入居されている方たちは初めて家族と離れて生活しています。自分のことを誰よりも知り、守ってくれていた大切な人たちと離れるのは入居者の人生にとって大きな転機であり、不安でいっぱいだったと思います。今では笑い声に包まれて仲間や職員との絆を育み、ゆっくりと前に進んでいます。暮らしていくのにたくさんの助けは必要ですが、シトラスがわがままも言えて安心できる居場所になった時、自分らしい人生が始まるのだと思います。その時に向け、シトラスはそれぞれのペースで歩む姿を応援していきます。
そのころ、小田原では…
2014年(平成26年)
小田原地下街「ハルネ小田原」
オープン。
2015年(平成27年)
「おだわら市民交流
センター UMECO」
オープン。
2016年(平成28年)
小田原城天守閣
リニューアルオープン。
小田原地下街「ハルネ小田原」
オープン。
2015年(平成27年)
「おだわら市民交流
センター UMECO」
オープン。
2016年(平成28年)
小田原城天守閣
リニューアルオープン。
地域の方々と共に まあるいこころ
「ほうあん地域支援センターまある」開設。
まあるとはスペイン語で海(mar)のこと。長い旅をしてきた河川の流れが海にたどり着くように
私たちの仕事も今〈まある〉に至りました。海にくらす生き物たちのように、「みんなちがって、みんないい」。
そんな風景のはじまる場所を「まある(mar)」で一緒につくっていきたい。海のように大きな「まあるい心」で。
そんな想いを込めて、開設した「地域支援センターまある」には、就労移行支援事業所、就労継続支援B型事業所、児童発達支援センター、相談支援事業所、児童精神科と複数の事業所が入っており、子供、障害のある方、高齢者が集まり、さまざまな方とふれあい、共に過ごし、新たな関係を築ける場所となるようにしたいと思っています。
そんな想いを込めて、開設した「地域支援センターまある」には、就労移行支援事業所、就労継続支援B型事業所、児童発達支援センター、相談支援事業所、児童精神科と複数の事業所が入っており、子供、障害のある方、高齢者が集まり、さまざまな方とふれあい、共に過ごし、新たな関係を築ける場所となるようにしたいと思っています。
こども発達クリニック「ほうあんなぎさ」開設。
平成30年5月、ほうあん地域支援センターまある2階に「こども発達クリニック ほうあんなぎさ」が開設されました。ほうあんなぎさには、児童精神科とリハビリテーション科が併設されています。お医者さんと連携して、言葉や感覚、運動機能、コミュニケーションなどに関する個別リハビリテーションを受けることができます。
「なぎさ」とは、海と陸が出会う場所。多様で豊かな命の世界が広がっています。医療と福祉という2つの世界が重なり合う場所、多分野の連携がもたらす豊かな診療・リハビリテーションを目指しています。
「なぎさ」とは、海と陸が出会う場所。多様で豊かな命の世界が広がっています。医療と福祉という2つの世界が重なり合う場所、多分野の連携がもたらす豊かな診療・リハビリテーションを目指しています。
そのころ、小田原では…
2019年(令和1年)
漁港の駅TOTOCO小田原
オープン。
2020年(令和2年)
新型コロナウイルス感染症
1回目の緊急事態宣言
発出。
2020年(令和2年)
複合商業施設「ミナカ小田原」
オープン。
2021年(令和3年)
小田原市民会館
閉館。
2021年(令和3年)
小田原市民ホール
「小田原三の丸ホール」
開館。
漁港の駅TOTOCO小田原
オープン。
2020年(令和2年)
新型コロナウイルス感染症
1回目の緊急事態宣言
発出。
2020年(令和2年)
複合商業施設「ミナカ小田原」
オープン。
2021年(令和3年)
小田原市民会館
閉館。
2021年(令和3年)
小田原市民ホール
「小田原三の丸ホール」
開館。